趣味の本屋散策をしていたところ、デジタル依存に興味を持つ私にとって非常に目を引く本を見つけました。
それが、今回ご紹介する「ドーパミン中毒」です。
著者のレンブケ・アンナ(Lembke Anna)氏は、精神科医・医学博士・スタンフォード大学医学部教授で、依存症医学の第一人者です。
現代は、一昔前までに存在しなかった薬やニュース、ギャンブル、酒、スマートフォンといった「モノ(=ドラッグ)」に溢れています。
そして、こられのモノは”ドーパミン”を運んできます。
このドーパミンは、一般的に「快楽物質」などと呼ばれていますが、人の脳の報酬処理に関わる一種の神経伝達物質であり、報酬を得た時よりも、”報酬を得るまでの過程”で特に多く分泌されるのではないかと言われています。
本書は、そのタイトルどおり、このドーパミンについて深堀りをした本であり、ドーパミンによって人生を狂わされた事例と、その治療プロセスについて書かれています。
書かれている内容は、著者自身が、患者を通して自ら学び、依存症(中毒)と戦ってきた実話であるため、その文章には非常に説得力があります。
今回は、そんな「ドーパミン中毒」を、特にデジタル依存(中毒)の観点に応用しながらご紹介していきます。
依存症とシーソー
まずは「依存症」というのがそもそも何なのか、本書の言葉を借りたいと思います。
「依存症」は広義には、ある物質や行動(ギャンブル、ゲーム、セックス)を自分自身や他者を害するにもかかわらず、継続的かつ衝動的に摂取したり行ってしまうことと定義される。
日本でも「依存」という言葉はネガティブな意味合いで使われることが多いですが、そのイメージどおり、自分にも”他人にも”傷を与えてしまうのが依存症です。
そして著者は、この依存症について“現在健常者の人でも、当たり前になる可能性がある”という点を警鐘しています。
「自分は別にお酒・ギャンブル・タバコのどれも興味ないし〜」なんて方でも、目の前のパソコンやスマートフォンで、無意識にYoutubeやSNSを見続けていれば、それは依存かもしれません。
この”依存”が生まれるメカニズムとして大事な考え方となるのが、「快楽」と「苦痛」の関係です。
快楽と苦痛のシーソー
「快楽」と「苦痛」は表裏一体。まさにシーソーの関係にあると、著者は述べています。
いまいちピンとこない方でも、身近な生活で考えてみると分かりやすいと思います。いくつか例を挙げてみましょう。
- 運動や筋トレ(苦痛)をしたら、気分がとてもスッキリ(快楽)した。
- カロリー満点の美味しい食事(快楽)を摂り続けていたら、太った(苦痛)
- テスト勉強を頑張った(苦痛)ら、良い点数が取れて褒められた(快楽)
このように、快楽のあとは苦痛、苦痛のあとは快楽がくるというのが「シーソー」に例えられる所以です。
また、「Twitterで渾身のツイート(快楽)をしたのに、イイねがもらえなかった(苦痛)」のように、快楽から結果を期待すればするほど、苦痛に振れた時のダメージが大きくなります。これもシーソーの原理そのままですね。
この”シーソー”は、本書の中で特に重要な考え方であり、本書の大前提といして以降の内容が展開されていきます。
セルフバインディング
ここからは、快楽と苦痛のシーソーを理解したうえで、「どのようにして依存状態を克服するのか?」という手法について触れていきます。
ドーパミン絶ち
まず前提として、依存状態から解放されるためには、依存のキッカケとなるモノ・行為から得られるドーパミンを“根本から断つ”ことが重要です。
と、簡単には言いますが、それができれば誰も依存症にはならないので、本書ではどのようにドーパミンを回避すればよいか、空間・時間・意味の3つの手法を考え方を提案しています。
依存のキッカケはそもそも“簡単に手を出せてしまう”というところから生まれるので、以下の3つの手法で対策していきましょう。
空間
まず第1に「空間」です。
「依存の対象となるモノと同じ空間にいる」という状況を回避しましょう。
<例>
・机の上にスマートフォンが置いてあるとつい手にとってしまうので別のところに置く
・スマートフォンのトップ画面にSNSを置かないようにする
私は自宅に帰ってすぐに、充電がてらスマートフォンを空間の仕切られた別部屋に置いています。
これが意外と効果が高く、休日で出かけない時には丸1日触らないということもあるほどです。(スマホではなくパソコンは使いますが)
自分が避けたいと思うものと物理的に空間を遮断することは、依存を避ける手助けとなります。
時間
第2に「時間」です。
時間を区切って、依存しやすいモノやコトに触れて良い(または触れたらダメな)時間を制限しましょう。
<例>
・22時以降、デジタルツールに触れない
・食事中は、スマートフォンに触らない
スマートフォンでは、iPhoneのスクリーンタイムや、Androidのデジタル・ウェルビーイング機能を使うことで、客観的にどのアプリをどれだけ使用しているかということが分かるので、自制するのに役立ちます。
ちなみに、私は22時以降にデジタルツールに触れないようにしているのですが、最初は辛かったものの、慣れてしまえば自分と向き合う時間や、紙の本や楽器などの”アナログ”に触れる時間が多く持てることに気づきました。
意味(ジャンル)
3つめの手法は「意味」です。分かりやすいように「ジャンル」と言い換えます。
これはつまり、ドーパミンがでるモノやコトに気が取られそうな時に、’
別のジャンルの何か”で気を紛らわせるテクニックです。
<例>
・スマートフォンを避けるために、大好きなマンガを手元に置いておく
・甘いお菓子に手を出さないようナッツを準備しておき、小腹が空いたらナッツを食べる
この手法は特に、スマートフォンや食べ物・アルコールなど、”生活上、避けられないが依存しやすいもの”に対して有効な手法です。
私自身の経験として、一時アルコールにハマッていたのですが、「お酒を飲む代わりに炭酸水を飲む」ということに取り組んだところ、今では飲み会以外でお酒を飲むことがなくなりました。
炭酸水もお金はかかりますが、まとめ買いすればお酒より安価ですし、何より体に良いので投資と割り切っています。ちなみに、普段はサンペレグリノというイタリアの炭酸水をまとめ買いしています。
もちろん、ここで紹介した3つの方法でも依存状態から抜けられなかったケースはあります。(本書でもいくつか例が取り上げられています)
とはいえ、3つの方法に取り組むことでほとんどのケースにおいて依存度を下げることが確認できている手法なので、まずはこの3つから取り組んでみることをオススメします。
苦痛の側に寄せすぎるのは注意 P.223
私はあまり良いと感じたことはありませんが、温泉に行くと、よくサウナ→水風呂→サウナ→水風呂・・・を繰り返している方を見かけます。
これもまさに苦痛(サウナ)と快楽(水風呂)の関係ですが、“やり過ぎると快楽が弱くなる”という症状が起こります。
薬物もそうですが、快楽を浴び続けるとシーソーの快楽側が短くなり、苦痛側が長くなるのです。
こうなると、快楽の強さが弱く・時間が短くなり、逆に苦痛の時間が強く・長くなってしまいます。
快楽を求めすぎると、シーソーのバランスが悪くなるということを知っておきましょう。
正直であれ
本書では「徹底的な正直さ」が、依存症から回復するためだけでなく、自分の人生に責任を持ち、自分らしくあるという点で大事であると述べています。
「正直になる」
これって正直、“つらい”ですよね。
つらいということは、それが「苦痛」だということです。
つまり、この苦痛を乗り越えれば快楽が待っているのです。
これは私も中間管理職の立場でよく感じるのですが、仕事上で、スタッフに対して“言っておいた方がいいけど、言わない方が自分は楽”というシーンに多く出くわします。つまり、それを”言いたい”という自分への正直な気持ちに“ウソ”をついているということになります。
こういったケースでは得てして、気持ちを押し殺して相手に伝えると、意外と上手くいって、その後とても晴れやかな気持ち(快楽)が訪れます。
つまり、正直であるということは、“苦痛のあとの快楽を得る“ということになり、結果的に自分自身を肯定することに繋がります。
おわりに
本書を読み、大きく印象に残ったのが「快楽と苦痛のシーソー」です。
普段の自分の生活の中で思い当たるケースが多々ありますし、結局、”努力という苦痛”の先にしか“成功という快楽”はないということがよく分かります。
本書に書かれている深い依存症から立ち直った事例は、このブログのテーマである「デジタル依存」から抜け出すためのヒントが多く含まれています。
本書では、アルコールやお菓子中毒の事例も取り上げられているので、この記事で興味が湧いたという方は、ぜひ本書を手に取ってみてはいかがでしょうか。
参考
著者のレンブケ・アンナ氏がゲスト出演しているYoutube動画で、本書に書かれている内容の大部分について話されています。(英語のトークですが、自動翻訳機能で日本語の字幕を付ければ十分に見れます)
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